フロイトが遺した言葉と無意識の心理学【無意識思考】

私たちは無意識に思考する(考える)ことができるのでしょうか?

今回はこんな疑問にお答えします。

この記事をお読みいただければ、「もしかすると自分は無意識に考えることができるかも」と思えることでしょう。

 

まず、無意識・・??って感じですよね。

無意識というと難しそうに聞こえますが、要は

「気が付いていない」

ということです。

心臓を動かすこと、自転車をバランスとって操作すること、言葉を自由自在に操ること。

これらはすべて無意識が行っています。

意識的に心臓の動きや鼓動をコントロールすることはできません。
もちろん、気が付かないだけで自動的にできてしまっています。

意識・無意識を説明するときによくこのような氷山の例が出されます。

上の水から顔を出しているのが意識、そして水面下に沈んでいるのが無意識です。

見えているのはほんの一部分。
つまり、私たちは無意識に支えられているというわけなんです。

認知活動の99%以上は無意識に支えられている(無意識の心理学)

私たちの生活で大きなウエイトを占めているのが普段のコミュニケーションです。

言葉を使ったコミュニケーションは無意識に大きく依存しています。

もしこれが意識的に努力のいる作業でしたら大変です・・・。

例えば、ネイティブではない方が英語を話すときなどでしょうか。

主語を考え、次に動詞を考えなんてやっていたら疲れてしまいます。

「明日この店に行こう」という言うだけなのに、「まず、主語は自分だからIだな。で、明日だから未来を表現するためにwillが必要で行くだからgo、そして店「に」だからtoが必要で、この店だからthis storeだな、そして明日だからtomorrow」・・という具合でしょうか。

ほんと大変ですね・・。

自動的に言葉が考えなくても次々と出てくるのは無意識が自動的に行なってくれているんです。

車を乗る方であれば、ギアチェンジなんかは無意識でやっていますよね。
・・他にも細かい点を挙げるときりがないのですが、呼吸なんかもそうです。

とある有名なアメリカの心理学者によると私たちの認知活動の99%以上は無意識が行っているという話もあります。

それくらい私たちの無意識って多くのことをやってくれているんですね。

生命に関わる活動だけでなく実に多くのことを私たちの無意識が行ってくれているのです。

と考えますと、「思考」も無意識に行なうことができる(またはすでに行っている)と考えるのは自然ではないでしょうか?

むしろ、これだけ多くのことを無意識がやってくれているのに思考だけは「例外」と考える方が無理がありますよね。

振り返ってみますと、無意識に考えていたのではないかと思い当たることがあります。

散歩中にアイデアが浮かぶことってありませんか。

私はあまり車を使わずできるだけ歩いたり自転車に乗って移動することが多いのですが、移動中に「これは!」っていうアイデアが浮かぶことが多いです。

他にも、シャワー中なんかもそうですね。
意外なアイデアがふと浮かんだりします。

こういう意外なアイデアが浮かぶ時って、じっくり考えていないで何か他のことをやっているときです。不思議ですね・・。

もし、無意識に考えるということがなければアイデアが不意に浮かぶということはありえませんね。何も起こらないはずです。

ということは、無意識に考えていると考えて妥当なように思えます。

フロイトという有名な心理学者が私たちが無意識に思考している可能性についてある言葉を遺しています。

フロイトが遺した言葉とは

120年ほど前に精神分析学の基礎をつくったフロイトという心理学者がいます。

数年前にアドラー心理学の本「嫌われる勇気」がベストセラーになりました。
その時に、アドラーかフロイトか、のようにフロイトが引き合いに出されていたことを憶えている方も多いと思います。

無意識といえばフロイトというように無意識を扱う心理学業界では超有名人です。

(写真の顔がちょっと怖い・・)

そのフロイトですが、次のような言葉を残しているんですね。

 

フロイトの言葉

”ささいな意思決定するときは、長所と短所をすべて考慮した方がよいとわかっています。しかし、パートナーや職業選択のような重要な選択となると、意思決定は自分自身のどこかから、無意識からくるかもしれません。”

 

「パートナーや職業選択のような重要な選択となると、意思決定は自分自身のどこかから、無意識からくるかもしれません。」というところが重要ですよね。

まあ、確かにささいな選択は長所と短所をすべて考慮してじっくりと考えて結論を出せばよいことは経験的にわかります。

ところが、重要な選択はそうとはいえないというんですね。
重要な選択は無意識からくるというのです。

これは無意識に考えた結果やってくると言い換えてもよいかもしれません。

さすが、フロイトは無意識研究の第一人者でありますから、説得力が違います。

記事のまとめ

今回は「私たちは無意識に思考(考える)ことができるのだろうか」ということについて書きました。

私たちの経験やフロイトの遺した言葉を考えるとどうやらその可能性は大いにありそうです。

次回以降、この無意識の思考について深堀りしていきます。

今回もご覧いただきありがとうございました。