自分で考える、思考することの重要性に気が着いたときのお話です。
それは10年前の東日本大震災の出来事に遡ります。
震災当時、私は福島県福島市に住んでいました。
原発事故のことは今でも忘れることができません。
あの建屋が爆発によって崩壊したシーンをテレビでリアルタイムで見ていました。
原発建屋の崩壊以後、放射能との戦いにさらされることになりました。
原発事故が起こった当初はまだテレビなどのマスメディアを信じ切っていました。
そのため、政府の見解の通り「ただちに影響はないだろう」くらいに思っていました。
それまでは、メディアが流す情報は正しい、ウソをつくはずがないと思っていました。
疑うこともなかったように思いますし、周囲にそのような人もいませんでした。
ところが、徐々に報道される情報に不信感が芽生えるようになりました。
私は何かがおかしいと感じはじめYouTubeなどのネット情報から情報を得ようとしました。
その当時は「プルトニウムを飲んでも安全」や「低線量の被ばくはむしろ健康に良い」といった情報なども流れていました。
これらは国内の有名大学出身の研究者らの見解でしたから信ぴょう性があるように感じました。
しかし、どうもおかしな現象が現実に立ち現れるのです。
現実に見聞きする情報は報道される情報とは全く違うのです。
まず一つ目の出来事が日米政府の対応の違いです。
福島市で英語の先生をしているアメリカ人の友人がいました。
その友人の安否の確認のため連絡をとっていたところ、「アメリカ政府から原発から80キロ圏内は放射能被ばくのリスクがあるから避難命令が出ている」というのです。
そこで、その友人はすぐに住まいを引き払い他県へ避難することになりました。
さらに、福島に住んでいる外国人は一斉に避難対応を始めたということも耳にしました。
そこで、いろいろとネットや本などから情報を集めていくとどうやら私の住んでいる地域はとても住めるような場所ではないとわかりました。
放射線被ばくに人種差などあるはずもありません。
つまり、福島市内に住んでいる外国人同様に日本人も同じ健康リスクにさらされていたということになります。
ただし日本政府の事情もわかります。
放射能が危険だ、などと政府が発表してしまえば、多くの方がパニックに陥るであろうということです。
そのための政治的判断であったのだと思います。
しかし、それと個々人の健康リスクとの関係性は別です。
さらに2つ目の出来事が私の疑念に拍車をかけることになるのです。
つづく・・